バクテリアについて考える その1
2024/12/16
バクテリアについて考える その1
私たちは水槽で何を飼っているのでしょうか?
これを知る者は、好む者にしかず。これを好む者は、楽しむ者にしかず。
菌類の生い立ちと現状
地球の歴史の中で菌類が現れたのは今から36億年前とされています。そしてそれは地球上に現れた最初の生命体でもありました。
菌類は様々な進化を遂げながら地球上のあらゆる場所に棲み着いています。
陸上はもちろん、1万メートルの水深の深海にも、地上はるか上空の成層圏にも、マイナス74℃の南極にも、113℃もある海底火山の噴火口にも、海水の7倍も濃い塩分濃度25%の塩湖の中にもそれぞれの過酷な環境を生き抜いてきた菌類がいます。
またその数たるや私たちの想像をはるかに超えた量の生息が確認されています。
あなたが大きく深呼吸をしたとたんに、あなたの肺の中には1万から10万匹もの菌が吸い込まれます。
最新の解析技術の進歩によると、あなたが毎日排泄するウンコの中には1g当たり何と1兆匹、約500種類もの腸内細菌と呼ばれる菌がいることがわかりました。
そして私たちの体重の内、約1.5kgは腸内細菌の重量であることも解明されています。
私たちの身の回りには、まさに天文学的な数の菌が棲み着いていることがお分かりいただけるかと思います。
また私たちの体表には「常在菌」と呼ばれる様々な菌類が棲み着いており、これらはいわば私たちの体表のバリアーのような存在で、人体に害を及ぼすことなく外部からの菌の侵入を防いでいます。
昨今抗菌グッズがもてはやされ、人間はきたない環境では生きていけないかのような一種の「すりこみ」が日々コマーシャルとして流されていますが、これは大変な間違いで、私たちは菌とうまく付き合うことで今日の繁栄を得たのだと言うことを忘れてはなりません。
菌の世界は早い者勝ち、そして排他的
菌の世界では圧倒的に先住者が強いことになっています。
変な言い回しですが、すでに菌が生息してコロニーを作っている空間に別の菌が後から入って行くのは大変な困難を伴います。
先住菌のコロニーでは菌体外多糖類や繊維組織が作り出され、やがて自分たちを守るテントのようなバイオフィルムが形成されます。
バイオフィルムは消毒薬や抗生物質までをも跳ね返す強固なものである場合もあります。
先着競争に後れを取った菌が、先住菌のコロニーに侵入するのは殆ど不可能と言っても良いでしょう。
れだけに他の菌に先駆けて着地点に定着し、少しでも早く分裂して自分の分身(クローン)を作ることは、菌類の生存競争の最も重要な課題と言えます。
ちなみに自身が細胞分裂して2倍に増えるのに要する時間を「倍加時間」と呼び、その時間の長短が生き残り戦略の重要な鍵となります。
今や私たちの医療に欠かせない「抗生物質」は菌類から作られた経緯があったことはご存じだと思います。
えー、ペニシリンはカビから作るんじゃなかったの?
とおっしゃる方もおられるかと思いますが、カビは糸状菌のコロニーを指す呼び名で、立派な菌類です。
菌類はなぜ「抗生物質」を作るのでしょうか?
それは他の菌との生存競争にに打ち勝つためです。
早い者勝ちの競争の次には、他の菌との熾烈な殺し合いにさらされます。
その中で勝ち残るための様々な手段を菌類は獲得してきました。
とにかく自分以外の菌類はすべて排除してしまい、自分の子孫(正確に言うと自分の分身)のみが増え続けることのできる周辺環境を作り出すために、他の菌類を殺し、かつ子孫の存続に有利に働く物質を菌体外に放出することは、菌類のDNAに刻み込まれた本能となっています。
そのうちの他の菌類を殺す物質が「抗菌性物質」つまり「抗生物質」なのです。
身近な例を上げてみましょう。皆さんがよくご存じの菌として乳酸菌と呼ばれるグループがいます。
最近は健康志向で、あちらこちらで乳酸菌の効果がうたわれています。
乳酸菌は「乳酸」という酸性の物質を体の外に分泌します。
これは他の菌に打ち勝つための成分です。
一般的に菌類は酸性の環境では生き抜くことが困難になるものが大部分ですので、乳酸菌と隣り合った他の菌は乳酸菌の作り出した「乳酸」によって排除されてしまいます。
テレビコマーシャルなどで乳酸菌がワーと増えて、悪玉菌を圧倒するという画像をご覧になったことがあると思いますが、あれは乳酸菌が分泌した乳酸によって他の菌が打ち負かされてしまう光景なのです。
乳酸は一種の抗生物質と考えられなくもありません。
私たち人間は腸内に乳酸菌を初めとする様々な菌類(腸内細菌)を住まわせており、胃を経て送り込まれた未消化の食物をさらに分解・吸収し、有用なビタミンや免疫物質を作り出して人体に供給しています。
彼等の働きはそればかりでなく、たまたま食物と一緒に腸内に飛び込んできた病原菌などの「よそ者」の菌類を駆逐もしているのですが、そのためには乳酸や抗生物質という武器が必要とされるのです。
また一方で数で侵入者を圧倒することも重要で、1gのウンコの中に1兆匹の細菌がいることは数百匹、数千匹などというわずかな数の侵入者は、腸内の先住者である膨大な数の腸内細菌によってことごとく圧倒されて数を増やすことができないことを意味します。
実は菌類が私たちの体に棲み着いている場所は腸内だけではありません。
体の外周のいたるところにもいます。頭のてっぺんからつま先まで様々な菌が先住民として棲み着き、後から侵入しようとする他の菌を追い払っているのです。
なにしろ元々から棲んでいる菌ですから体表の環境にも順応し、その条件下における優占種として子孫を増やしているのです。
腸内細菌程の膨大な生息数ではありませんが、たまたま飛び込んできた「よそ者」を追い払うには十分な数と言えます。
魚介類の体表も当然「菌類」の生活の場となっており、生物が体表に分泌したり排泄したりする物質を有効に活用するすべを獲得した菌群には最も生存に適した生活の場であり、未来永劫死守しなければならない極めて特異な空間となっていると考えられます。
菌類が意図しているかどうかは別にして、結果としては彼等は生物の体表に彼等以外の他の菌が棲み着くことのないようにバリアーを張り巡らせていることになります。
魚介類を網ですくった後に体表に異変が現れることがあります。
これをスレと呼びますが、これなどは網によって体表粘液に物理的なダメージが与えられて、体表の微生物バリアーが損傷し病原菌の侵入を許したことによって引き起こされる現象と考えられます。
近年抗菌グッズがもてはやされています。いかにも菌類の全てが「悪」であるかのごときCMが流され、愚かにもメーカーの思惑にまんまと嵌められている奥様方がいかに多いことか。
これは人間が免疫を獲得するメカニズムを根底から否定する安易な考え方で、まさに人類の存続を脅かしかねない犯罪と呼んでもおかしくない「洗脳」であると思います。
人間は菌と共存し、菌を活用することで進化を遂げてきた生きものなのです。
私たちは菌の作り出した「抗生物質」を抽出して、それを飲んだり注射したりして菌そのものを体内に入れることなく「抗菌作用」だけを働かせて人体に有害な「他の菌」を排除する手段を発見したわけですが、菌の生存の意味は自分の子孫を残すことにしかありません。
本質的に菌類が共存を考えることはありえません。「隣に引っ越してきましたどうぞよろしく」とか「ここは話し合いで何とか」とか「たまには一杯やりましょうや」などという、人間世界で言うところのお付き合いなどとは無縁の世界に菌は生きているのです。
菌はいろいろなものを作る
菌は他の菌類を排除するだけでなく、自分の子孫が生き残り、その数を増やすための物質も作り体外に分泌します。
それは栄養成分であったり、他の菌類からの攻撃を防ぐための防御物質であったりします。
それらの内のいくつかは人間にとっても有益なものとして私たちは経験的に活用することを知りました。
まさに先人の知恵と呼ばれるものです。
最もよく知られるものは「お酒」です。
酒飲みの人生の快楽は菌によって支えられていることを改めて感じます。
また様々な食品や調味料にも菌類が介在していることは皆さんよくご存じのことと思います。
チーズやヨーグルト、納豆に漬け物、味噌・醤油・味の素(味の素も発酵技術を用いて菌が作り出しているのです)。
もう例を挙げればきりがありません。
これらはすべて菌類の存在があってはじめて可能となった菌体外物質の利用なのです。
人間にとって有益な物質を作り出す菌類の分解活動を「発酵」と呼び、それ以外の分解活動を「腐敗」と呼んで区別しています。
人間から見た有益、無益の判断のみで、あたかも菌類に善悪を当てはめているようで菌類には申し訳ない気もしますが、これは長年培ってきた人類の叡智によって積み上げられた、まさに菌類の活用事例の集大成とも言えるものです。
近年はさらに菌類の遺伝子を人為的に組み替えることによって、様々な菌体外物質を意図的に作り出したり、その量を増やしてしまうことまでもが行われています。
まさに菌類は私たちの生活から切り離すことのできない、極めて密接かつ重要な隣人になりつつあります。
菌類に共存関係はないのか?
菌類は殺し合うばかりで共存共栄とか共生などと呼ばれる関係は皆無なのでしょうか?
それがあるのです。
36億年の長い歳月は当然そのような関係も許容するようになりました。
それはおそらく菌体外物質を相互に利用し合うような偶然の隣接から始まったものと想像しますが、近年の研究では複数の菌を同時に培養すると、菌が作り出す菌体外物質の量が個別に培養するよりもはるかに多く作り出されたり、有益な菌を特異的に大増殖させるような他の菌の存在が発見されたりもしています。
ここで私たちが注目すべきは菌体外物質や菌体内の成分が他の菌類の活性を高めたり、増殖を促すことがあると言うことです。
私たちの管理する水槽の中にも当然ながらその環境の中で生存競争に打ち勝ってきた、いわゆる常在菌のような菌群が盤踞しているはずです。
その中には窒素分を酸化する硝化菌などの独立栄養細菌もいれば、餌の食べ残しや飼育生物の排泄物を分解してくれる従属栄養細菌も生息しています。
彼等の生息密度は私たちが投入する「餌」の量によってコントロールされています。
またこれらの多くは人体の常在菌のように、侵入してくる他の菌を排除もしているはずです。
そのことは水槽環境を常に安定した状態に保つ役割も担っており、同居する魚介類の健康保持とも密接な因果関係が想像されるところです。
つまり水槽内の常在菌のコンディションによっては、水質や魚介類のストレスまでもが影響を受ける可能性があると言うことです。
究極の共生関係
地球上の生命体は大きく次の3つのグループに分けられます。
・古細菌(メタン生成菌、硫黄分解菌、光合成細菌など)
・真正細菌(いわゆるバクテリアと呼ばれるグループ)
・真核生物(原生動物、真菌類、植物、動物)
私たち人間を含む真核生物は、古細菌のメタン生成菌が真正細菌のα-プロテオバクテリアを飲み込み、後者を細胞内共生体としたことから誕生したと考えられています。
ミトコンドリアという言葉を思い出して下さい。
ミトコンドリアって何だっけ?確か中学校の理科の時間に習ったような気がすると言う方が大部分でしょう。
ミトコンドリアは私たち動物はもとより植物を含めたほぼ全ての細胞に存在するもので、生きていくのに必用なエネルギー(ATP アデノシン酸リン酸)はすべてミトコンドリアが生み出しています。
古細菌に飲み込まれたα-プロテオバクテリアはやがて細胞内の共生体として働くようになり、ミトコンドリアとして真核生物の全ての細胞に受け継がれることになったのです。
これはまさに究極の共生関係がもたらした進化の重大なステップで、以後真核生物の圧倒的な発展をもたらす事になりました。
その過程を解説しましょう。
メタン生成菌は外部から二酸化炭素と水素を取り込んでブドウ糖を合成し、体外にメタンを排出する細菌です。一方のα-プロテオバクテリアは外部からブドウ糖を取り込んで分解することでエネルギーを得ている細菌です。
α-プロテオバクテリアは好気性代謝も嫌気性代謝もできる器用な細菌ですが、嫌気性代謝を行う際には代謝産物として二酸化炭素と水素を排出します。
つまりα-プロテオバクテリアの排出物である二酸化炭素と水素はメタン生成菌にとって必須の成分であったことから両者は隣り合って共同生活をしていたことが推測されます。
つまりもともと共生に近い関係を持っていたのです。
やがて強固な細胞壁を保たないメタン生成菌が変形して、強固な細胞壁のために変形できないα-プロテオバクテリアを包み込んで、最終的には飲み込んでしまったという経緯が想像されます。
ここで疑問なのはメタン生成菌の体内に飲み込まれてしまったα-プロテオバクテリアにとってメタン生成菌が作り出すブドウ糖は微々たるもので生命維持にはとても足りないものでしかありませんでした。
一方メタン生成菌は外部からブドウ糖を取り込む能力を持っていません。
そのままではα-プロテオバクテリアは餓死してしまいます。
どうやらα-プロテオバクテリアはブドウ糖取り込みに関する遺伝子をメタン生成菌に渡したらしいのです。
「ねえ、ちょっとこれ使ってみてよ」てなもんかもしれません。
遺伝子をもらったメタン生成菌の全てがぶどう糖を取り込めるようになったわけではないのですが、その中で取り込みに成功するものが現れたようです。
偶然に偶然が重なってついに私たち人類の祖先らしきものが出現したのです。